逃げ馬

昨日紹介したセクレタリアトは、パフォーマンスがすごすぎて結果として大逃げになってしまったわけですが、本来逃げ馬というものはそうではないと思います。
逃げ馬というのは基本的に逃げずにおれない狂気を秘めてるものです。
で、僕の大好きな逃げ馬のうちの一頭。メジロパーマー
92年有馬記念でどうぞ。見所は、最終コーナーまでの同じく逃げ馬ダイタクヘリオス*1との狂気の先行争い。
この二頭は、その少し前の天皇賞秋でも同じことやって双方ともにつぶれて*2レッツゴーターキン-ムービースターの穴馬券(馬連17220円)の立役者になってます。

因縁話で言うと、これは*3お互いシンボリルドルフビゼンニシキを父に持つトウカイテイオーダイタクヘリオスの代理戦争だったはずなのに。
パーマーは、その年の宝塚記念も勝ってるわけですが、有力馬が不在の勝利だったため、フロック視されてました。
その後京都大賞典天皇賞秋、を惨敗して、やっぱりフロックだったかと思わせといてこれ。
このレースは、トウカイテイオーをはじめ7頭のG1馬(後に勝った馬も含む)が出てるわけですが、それを向こうに回して逃げて勝ったパーマーはやはりすごい。
そしてこのレースではサンエイサンキューの悲劇も起きていたわけですが、そういうことを感じさせないところはもっとすごい。
サイレンススズカの悲劇のときの勝ち馬オフサイドトラップが、ライスシャワーの悲劇のときの勝ち馬ダンツシアトルが、なんか暗い感じになってしまうのに、パーマーは同じように種牡馬成績はさっぱりだったけど、なんか明るい感じがするのがすごいと思う。
障害帰りのG1馬*4とか、ベストパートナー山田泰誠に出会うまで9人の騎手が乗った*5馬とか、エピソードに事欠かないせいかなあ。
ベストレースはこっちでしょうね。彼の最後の勝利、上の有馬記念の次のレース阪神大賞典

見所は最後の直線。ナイスネイチャが差しにきたところ、空恐ろしい勝負根性で差し返します。

*1:路線が確立した今では考えられないことですが、短距離で一流の成績を残しながら中距離でも走った最後の馬でしょう。これが引退レースだったんだなあ。

*2:両方のレースで巻き添えでトウカイテイオーをつぶしたようなもんだから、ビゼンニシキの仔としてダイタクヘリオスは本望(どっちもちょうど一つ前に先着されてるけど)だったかもしれない。

*3:そして天皇賞秋も。

*4:G1勝ったあとに障害レースに行った馬はいても、障害レースに出た後にG1を勝った馬は彼だけ。

*5:さらにそのあと二人乗ってるので全部で12人。G1馬でこれだけ騎手が乗ったのもたぶん彼だけ。