今日の日記

エンドウ

生活リズムだんだんおかしくなってきた。

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えんどう豆。
最近の風で、折れて枯れたものもあったけど、2/3は無事大きくなってる模様。

読書

はまぞうが若干モデルチェンジしたなあ。
関係ないけど、50冊読むって言ったのはいいけど、もうネタ切れ気味です。
何かオススメがあったら教えてください。何でも読みます。

「人殺し」の心理学「人殺し」の心理学 18冊目

筑摩書房から文庫も出てるみたいだけど、これはハードカバー。
この本の内容は、人間は人間を殺せない、ということから始まる。
ある調査では第二次大戦中兵士の発砲率は15-20%だという。
しかも発砲しなかった人間は臆病者ではなかった。
むしろ進んで発砲以外に危険な任務、偵察や味方の救助などを引き受けている。
つまり、殺すより殺されるほうがまし、と人間は考えているということである。
どういう理由かは哲学者の領分にしても、そういう事実がある。
それだけ低かった発砲率が朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では90-95%と一気にあがる。
これは、発砲を可能にするための心理的な操作、逆に言えば発砲を制止していた心理的防壁を破壊する教育が行われたため、と著者は言う。
人間は人間を殺せないというのは一般論で、結果として戦死者はいるわけだからなんらかの状況で、人間は人間を殺せるようになるわけである。
殺せてしまう資質を持った人間がいるということもあるだろうけども。
その状況とは、例えば心理的距離をつくるとか*1、兵士を相互監視状態にするとか*2いうような心理的壁を越える圧力を高めること。
それと同時に、その壁を低める操作、例えば的を丸から人型に変えることで、人型が出たら撃つという条件付けが行われる。
そういう、兵士と軍隊の、殺したくないVS殺せの圧力のせめぎあいを描写した後、この本はさらにそこから踏み込んで、兵士のその後を描く。
それは、人を殺したくないという心理を無理矢理突破されるとどうなるか、ということ。
その心理にはそれなりの存在理由があったわけで。
さらにアメリカではベトナム戦争という、社会に祝福されない戦争があった。
普通兵士は、なんらかの癒しを経て、人を殺すというトラウマから社会復帰を果たすわけだが、ベトナム戦争の場合、それもなかった。
そういうわけで、それに従軍した兵士は、これまでにない顕著な反応を見せるようになった。
大まかに言うとそういう内容。
これを読むとやっぱりゲームはいかんという気になるわ。
敵が出たら撃つ、という反応が条件付けされ、撃つ前に考えなくなるのでは?と思う。
人間は人間を殺さない、ということが数字で語られるのは、救いのように思えるが、反面それが主に教育の力*3で殺せるようになっていくことも語られると、やはり恐ろしい。
戦争を恐ろしがってくさいものに蓋をする向きもありましょうが、僕は反対。
まずは知らなければいけない、という作者の立場に僕は賛成。
戦争は恐ろしいしおぞましいものであるだろうけど、群盲象を撫でるようではダメだと思う。
戦争反対の人こそ、この本を読むべきと僕は思う。ちょっと読みづらいけど。
戦争における心理的影響の本だから、麻痺戦とか提唱するRMAの本とかとあわせて読むと面白い気がする。

日本文明とは何か日本文明とは何か―パクス・ヤポニカの可能性 (角川叢書) 19冊目

基本的には日本文化論の本。
主に力点を置いてるのは、前にもちょっと触れたけど、権力のバランスにのモデルとして、軍事−宗教の二項対立ではなく、そこに公家を挟んだ鼎立を提唱する本。
雑誌の連載をまとめた本なので、各章で話が重複したり前後したり、ちょっと読みにくい。
問題意識として、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」がまずある。
いつものwikiの記事はこちら
歴史は終わるわけだが、だからと言って紛争は続く(それはフクヤマも否定しない)わけで。
今、フクヤマの示唆のように情勢は進みつつあるように見えるが、ナショナリズムの盛り上がりなど、紛争のネタには事欠かない。
それに対する処方箋として、著者は日本のスノビズムを提言する。
それは公家的な、例えば儀礼や芸術に階梯をつくり、その中で上昇志向を煽ることで権力を発生させるシステムなんだけども。
例えば、千利休が茶道と言って茶道具に序列をつけ作法を作ると、そこに利休に認められたい人からの指示=権力が発生するわけ。
これは例えば武力による権力のような明快さはないけれど、身に寸鉄を帯びずして発生する、比較的平和的な権力でもある。
それによって平和が保たれていたのが平安時代であり、江戸時代だ、という話。
最後に、ガンジーの非暴力主義も同じような側面があるのではないか、という示唆を残してる。
ガンジーのやったことは、非武装による武力のコントロール*4、それは公家とは全然違うけど、思想武器によるコントロールという点では一緒。
本ではそこを指摘するにとどまってたけど、僕としては、武力、宗教に次ぐ第三の権力の権力の方法論というのは時代によって違うということかな、と思った。
内容については、面白い示唆ではあると思う。
何でもアメリカナイズしてグローバリゼーションだって言っても、ついていけない部分があるしね。
それが取りこぼしてる部分をうまく指摘してると思う。
個人的には、日中の比較のときに出てきた、日本は死者は責めないけど*5、中国はそうじゃない*6ってところ。
そこから、日本人はタタリを鎮めカミにするために靖国神社に参るけど、中国人的にはそれは許せないんだって説明をしてたんだけど、なるほど!という感じでした。

ユビキタス・コンピュータ革命ユビキタス・コンピュータ革命―次世代社会の世界標準 (角川oneテーマ21) 20冊目

節目の20冊目はこの本でした。
世界で一番使われてる組み込みOS、TRONの開発者坂村先生の本。
内容は、ユビキタスとは何かと、その予想される未来って感じでした。
ユビキタスが何かは、wikiの記事でどうぞ。*7
非常にわかりやすく、ユビキタスがなにか、とういうことを知りたいのであればいい入門書ではないかと思います。
個人的には「コンピュータ」「ユーザ」「サーバ」といった理系の表現が徹底しててワロス
あと、なぜユビキタスなのか、ということを語るときに、パソコンについて触れるんですが、そこは必読。
コンピュータ=パソコン=速度最優先のアーキテクチャのコンピュータ、というのが一般的なイメージだと思います。
つまり、処理は早ければ早いほどよく、できることは多ければよいという思想の下に作られたコンピュータがコンピュータなんだと思いがちなんですが、よく考えれば、電子ジャーに積まれてるチップもコンピュータだし、PS2だってそう。
その特徴といえばインテリジェントな出力をすることであって、そういう意味ではパソコンは汎用性に意を用いるあまり、性能を生かしきれてない面がある。
例えば、文書を作成するのに、電源入れて、ワードのアイコンダブルクリックして……とあって、その作成中にもマウスで範囲選択したり、結局パソコンのインターフェースを理解し、汎用性のために機能性が犠牲にされた中でしかできないわけです。
ところがそれがワープロになると、専用のキーや、単純化されたインタフェースで、もっと負担が少ないわけです。
その代わりパソコンは一台で何でもできるけど、その機能を単一機能の家電で満たそうとすると数が必要になるわけです。
それを解決しようというのがユビキタス、と僕は感じました。
例えばボタンを押すことしかできない親を見て、パソコンがユーザにかける負担を考えると、やはりそれは道具として欠陥があると思います。
便利ではあるんですけどね。

*1:目の前の人間をナイフで刺し殺すより、戦略爆撃機から爆弾を落とすほうが心理的負担が少ない。

*2:深い信頼で結ばれた友人に無能と思われるのはつらい。

*3:愛国心教育とかではない(笑)。パブロフの犬のような条件付けのこと。

*4:それは上の「人殺し」の心理学を読むと、人を攻撃することへの心理的抵抗を利用したものと読めるわけだが。

*5:死んだ人を悪く言う人はいない。

*6:伍子胥の例がひかれてた。

*7:ちなみにwikiの記事には誤字があって、ユビキタスの日本語訳は「偏在」ではなく「遍在」です。同音異義語なのに意味は真逆なので注意。