今日の日記

アゲハ

危険なアゲハ

で、こっちは終令幼虫。
そういえばぜんぜんサナギ見ないなあ。

読書

  • 他人を見下す若者たち他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

これは、報道などで最近増えてるといわれる、いわゆるキレたり社会的迷惑行為を働く若者の行動原理を明らかにしようという本。
例えば、些細なことで怒り出したり、やる気や感情に薄かったり、自分に非があっても謝らなかったり、お互いに譲り合わなかったり、全体に寄与する行動に参加しなかったり、努力をいとったり、というような、最近増えてるといわれる性向を説明しようという内容。
メインとなるのは仮想的有能感という仮説。
つまり、端的に言えば、いまどきの若者は、自分を、現実の自分よりも有能であると思い込んでいる、ということ。
で、その有能感は、自分の経験に裏打ちされたものではないというところがミソ。だから、仮想的、という表現になるわけで。
それは、幼児のときなら誰でも抱く全能感であるが、さまざまな要因により*1、そのギャップが補正されることなく成長したため、そういう有能感を持つ若者が増えた、という説明になっていました。
それで何が問題かというと、その有能感は、自身の能力と乖離しているため、実際にやらせてみれば口ほどにはできないし、失敗を指摘すれば自己保全のために他人のせいにするし。
そもそもその有能感は、その根源となるべき能力が保障できないもの。
じゃあそれをどうやって維持していくかというと、先回りして他人を低めて見ることで相対的に自分を高めるようになる、と。
具体的には、それは攻撃性となって表出しやすいというのが問題である、と。


大雑把な説明としてはそういうところなんですが……。
まあ、極端に言えば、最近増えた困った若者は、自分ができる以上にできると思ってて、そのせいで他人を馬鹿にしたり協力しなかったりするってことで。
これは仮説であり、非常に取り扱いに注意しなければならないと思います。
なぜなら、その仮説としての切れ味に比べて、その根拠となる調査が、偏りがあり数的な不足を否めないからです。
ゲーム脳のように結論だけが一人歩きしてはならないと思います。


また、その考察にもこれからの検証を必要とする部分があって、例えばそういう有能感って若者ならまあ大なり小なり持つものじゃないですか。
それが社会に出て人にもまれるうちに社会に適応していく=仮想的有能感ではなくなっていく、ということでしょう?
つまり、若者に多いって言ってもそれは当たり前なんではないでしょうか?
有能感は、年齢に応じてUカーブを描くとあります。
つまり、有能感自体は、若者と老人に多いわけです。
ただ、老人は自己体験に基づく有能感であり、仮想的ではないというのですが、それは当たり前じゃないですか。
生きた時間が圧倒的に違うんだから。
つまり、いまどきの若者に限った話ではないんではないかって思っちゃうんですが。


そういう欠点は筆者も自覚しているようなので、これからの積み重ねに期待したいと思います。
仮説自体はある程度の説得力があるので。
ただ、どうしても仮説の前にあるバイアスを感じてしまうんですね。
思われる、思われる、でつむがれた論理は、どうしてもそう思いたいという意図を感じてしまうんですね。


総論としては、鋭い仮説ですが根拠と展開に難ありというところ。扱いも難しそう。
ただ、一読の価値はありますね。

*1:他者とのコミュニケーションの不足などが挙げられてた。