今日の日記

二十日大根

今日は献血行ってきましたが、針がうまく刺さってなかったらしく返血がうまくいかずに途中で中止。
全血400ml抜いたのと同じような感じになっちゃったので、次の献血はGWのころまでお預け。
さすがにちょっと痛みがあるし(文字通りの意味で)気分が悪い。あざができるかもだそうです。
あえての見せ肌で街行く艶女を釘付けSEXYな夏(笑)でなくてよかった。

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今日から菜園シリーズ。
これは露にぬれる二十日大根。

青色申告

やろうと思えば明日までに入力は終わるけど、アポイントメントをとる関係で帳簿渡すのまで明日ってワケにはいかないだろうし。
となると、月曜日に帳簿を渡すとして、日曜日には仕上がってればいいから、結構スケジュールはゆるゆるになるな。

読書

おかげさまで、40冊までもう少し。50冊も見えてきました。
薦められた本の感想がなかなか書けてなくてすみません。
今忙しいのでどうしても読みやすい/感想が書きやすい本からってことになっちゃうんだな。
ノンフィクションが好きなんで。
青色申告は今が山場。もう二三日したらYの悲劇が読みたい……。

幽霊は足あとを残す幽霊は足あとを残す―怪奇探偵の実録事件ファイル 37冊目

怪談の発生とその広がりを追いかけたルポ。
といってもよくある恐怖本とはスタンスが違う。
そういうものは、幽霊という現象にどういう因果があるのか、という話に終始するわけだが、これはどうして因果づけられてしまうのか、という話。
もうちょっと具体的に言うと、はっきり言えば世界中で悲劇ってのは起きてるけれども、その全部に幽霊話があるわけじゃないですよね。
幽霊がいる/いないはさておき、社会科学的な目で見るとこれは、悲劇の記憶を幽霊話に結び付ける何かがあるってことです。
この著者は、はっきりとは書きませんが、幽霊は以下のような働きをしてるものと捕らえてるようです。
まず後ろめたさの解消装置。
幽霊が出る→それに脅かされてる=罰せられてる、という安心を求めて、ということ。
罰せられることで安心するというのは矛盾するようだが、つまみ食いをして、ばれるかどうかビクビクした挙句に、見つかって怒られてなんかほっとしたことのある人はわかってもらえると思う。
殺人者が被害者の幽霊を見たとかはこれ。
次に権力への反抗装置。
幽霊が出る目的が抗議である場合。
権力の横暴による死に対して、その死者の幽霊が出るという話を共有することで、抗議の意を共有するということ。
最後に、不幸の説明装置。
天災や死などの不幸は受け入れがたいものだが、それをタタリである、として納得させる装置として。
怪談とは、死に対して一律に発生するものではなく、以上のような働きができるものだけが残っていくのだ、ということを怪談を、そのもとになった事件から現在の形になるまでを追いかけることで明らかにしていく。
そういう意味で、怪談が消えつつある今は、サバイバーズギルティへの癒しとしても働いていた幽霊(生存者の前に現れて直接許してくれたりとか)がなくなってしまいつつあるわけで。
幽霊といえばすぐいるいないの話に終始してしまいがちですが、その中でこの本は新鮮でした。