今日の日記

前みたいな、毎日更新とか、もう無理。

読書

駕篭に乗る人・担ぐ人―自民党裏面史に学ぶ (ノンブック)

いつだったか忘れたけど、どっかでこれに関する記事を見たのが頭のどっかに残ってたので借りてみた。
長年田中角栄の秘書を勤めた人のエッセイ集。昭和63年の本だから内容がちょっと古い。
この中でまだ先もわからないような扱いをされていた、たとえば小沢一郎が政界の一方の極を担っていることを(しかも自民党の外で)思うと、ちょっと感慨が。
文章はテーマが明確でなく、論理が不明瞭なことも多いが、披露されるエピソードは凄みがある。
たとえば、田中角栄は、一度寝たあと夜中の12時から朝の3時までおきるのを常としたという。
その間に、昼間に受けられなかった報告を受け、目を通せなかった資料を見、日本中の地図を広げながら国会便覧を見る。
そうやって、相手と自分の国のことを知らなければ、何を言うにしても軽いというわけで。
僕たちは、役に立つ勉強しかしない、やらないと思う。もちろんそれが普通だと思うんだけど。
しかし、大きな仕事をする人間になるかどうかは、こういう、先の見えない勉強をできるかどうかで分かれるんだと思う。
自分の選挙区でもない土地の地理を詳細に覚えていたからといって、直接すぐ何の役に立つというものでもあるまい。
しかしそうやって一つ一つ知識を蓄えていくことで、たとえばそこの選挙の時には適切な行動をとることができる。そこの議員がやってることがわかるようになる。そういうバックボーンとしてそういう知識は役に立つわけで。
僕も今勉強してるわけだけど、正直、役に立つor立たないで勉強をふるいわけしていたなあとちょっと反省。
古い本だけど、すぐ読み終えるので、図書館なりで見つけたら手にとってみてはいかが。

彼女たちの愛し方

レズビアンバイセクシャルの女性へのインタビュー集。
彼女らの恋愛観、恋愛遍歴などがつづられている。
世の中にはいろんな人たちがいる。
恋愛に関してもそれはその通りで、同性を愛する人もいる。異性を愛する人も、両方愛する*1人も。
自分の理解できないものに拒否感を覚えることは自然だと思うけれど、それが往々にして正当なものと思い込んでしまうのが多数派の悪いところだと思う。
で、彼女らマイノリティはそれと戦いながら自分に正直に生きている。
そういう状況は確かに正されなければならないと思うけど、それが行き過ぎるあまり、日本では、マイノリティや弱者を腫れ物に触るように扱ったり、神様のように祭り上げてしまったりする人がいるようだけど、それは違うと思う。
たとえば彼女らだって、傷つきもすれば打算も駆け引きもあり、時にはレイプだってする、普通の人間なのだ。
でも、たとえ厳しい道でも、自分に正直に恋愛をしている彼女たちは、自分を守ることに必死になって恋愛すらしない人よりはよっぽど魅力的だ。
そんなことをちょっと思った。

彼女が電話をかけている場所―通話中

一人暮らしの女性の部屋にいって、ちょっとしたインタビューと電話をかけているシーンの写真を集めたもの。
東京の女性の一人暮らしとはどういうものか、がちょっとうかがえると思う。
まあ、携帯電話がこれだけ普及した今では、94年のこの本の内容はちょっと古いと思うけど。
出てくる女性は、20代から50歳直前までさまざま。仕事もさまざま。共通点は、東京で一人暮らしをしていて、電話好き、ということだけ。
たとえば、僕はテーマやオチのない話とかするのが苦手*2なんだけど、どうも大多数の女性はそうではないらしい。
部屋に関してもそういう傾向があるようで、僕は自分の部屋を、心地よくしようとか飾ろうとかあまり思わない。
必要としている機能、つまり寝食収納が果たせればそれでいいと思っている。
彼女らの部屋は、それぞれのパーソナリティが反映されていて、こだわりもまあ人それぞれなんだけど、部屋を飾ってるなあと思う。もちろん、印刷物に写真が載るからってこともあるだろうけど。
あと、最後の、取材を断られることについての分析は面白かった。これを読んだ女性の意見が聞きたいところ。

歴史を変えた偽書―大事件に影響を与えた裏文書たち

偽史とか偽書ってのは、人をひきつける力がある。
なぜならそれは、必要や欲求にあわせて書かれているからだ。
言い換えると、偽書はまず、「自分はこういう主張がしたい」という欲求や、「こういう主張を認めさせたい」という必要があって、それに合うように書かれているわけで。
作り手以外にもそういう欲求や必要を感じている人ってのは必ずいる。
そういう人は、いざ偽書が出たらやはりシンパシーを感じるだろう。
そういう意味で、エロ本みたいなものだと思うんだよなあ。
エロ本ってのは男性の欲求や必要に添うように書かれてるわけじゃないですか。
大半の人は楽しむだけで、それがファンタジーとわかっているけど、やっぱりその中の記述を信じちゃう人はいるわけで。
大はそれを信じて犯罪まで行っちゃうようなのから、小は「ほほう、腕組みは○○のサインか」と信じてしまうようなのまで、それはさまざまだろうけど。
世間的な地位が低いようなものでこれだから、ましてや歴史書、みたいにそれっぽい体裁をとったものなら、信じちゃうのも無理はないなあと思うんです。
この本ではさまざまな偽書が取り上げられてるんだけど、そういう危うい魅力があるなあ、と思う。
さらに踏み込んで言えば、今あなたが手に取ってる教科書ですら偽書なのかもしれないわけで。
そういう偽書が力を持つのは、やはり既存の論理では満足させることのできない欲求不満がたまったときや、民族意識がゆがんだ拡大をしたときだと思う。
逆に言えば、歴史を詐称してみたりしてるところってのは、そういう危険な精神的な傾向があるってことだよね。
まあ、オカルトに、半端な気持ちで手を出してはいけないなあ、と思った。
こういうのは、自分は大丈夫だと思ってる人ほど危ないので、みなさん一度は読んでみてください。

*1:恋愛に関して、同性愛者も異性愛者も性別という観点から入ることは同じで、そういう意味では両方愛せる人というのはさらにそういう枠から自由なんだと思う。

*2:嫌、というわけではないのだが。先日同級生に電話したが1分も話さなかった。それくらい、用件が済んだら話が続かない。無駄な話をしないというのはいいかもしれないが、何とかして意味のある話をしようと無理をするせいでぎこちなくなることも多い。自分としては直したい点の一つ。