今日の日記

カボチャ

本当に気になってるんだけど、あの焼肉のたれで命をつないだとして話題になった*1あの人は、今でも元気にしてるでしょうか。
リハビリ終わる頃に話題になるかと思ってたんだけど。
職場の人のリアクションが冷たいよなあ、と当時気になってはいたのですが、今となっては続報がないことも気になる。

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カボチャの苗。ホットキャップかぶせてある。

読書

あと一冊まできたよー。
実は50冊目を絡新婦の理にしようと思って、いくつか並行して読んでたんですが、読みやすいものから感想を書いてるうちに、ちょっとずれました。

狂信狂信―ブラジル日本移民の騒乱 (1978年) (角川文庫) 47冊目

あなたは、勝ち組ですか?負け組ですか?


現在、勝ち組/負け組と言うと、社会的な成功のあるなしでの表現を意味しますが、もとは違う意味だったそうです。
第二次大戦終了後、日本の敗戦を信じない人を勝ち組、それ以外を負け組、と称したのがこの言葉の始まりだそうです。
この本は、ひょんなことから昭和27年にブラジルのそういう人たちとかかわることになったジャーナリストのルポ。
朝日新聞社、角川文庫、ファラオ企画からそれぞれ出てるようです。
今手に入るのは91年に出たファラオ企画版かなあ。僕が読んだのはそれ。商品紹介もそれにしたかったけど、はまぞうで出なかったのでこれで勘弁。
図書館か古本屋で探せば旧版でも見つかるかもしれない。
具体的な事件の推移は、簡潔にまとめたページがあったのでそちらでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E9%81%93%E9%80%A3%E7%9B%9F
これの参考リンクにあった、
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/kachigumi.htm
http://www.nikkeyshimbun.com.br/030917-62colonia.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ykchurch/sgc/brasil/brasil_11_011228.htm
http://www-kyou.edu.kagoshima-u.ac.jp/~kanda/k2.htm
これらもどうぞ。一番上のもので概略がわかるので、それから順番に読んで内容をつかむ感じがオススメ。下の三つはちょっと読みにくい。


何が問題って、最終的には昭和40年代後半、オイルショックや長嶋引退があった頃まで勝ち組は命脈をつないだということです。敗戦後、実に30年が経ったにもかかわらず。*2
最終的には20人ほどの死者、180人ほどの国外追放者をだすほどの事件に発展します。
ご存知かどうか知りませんが、この頃は、日本兵横井庄一小野田寛郎が投降し帰還したころでもありますね。つまり、その頃まで、敗戦を信じず戦闘を継続した日本兵がいたわけです。


どうして彼らが発生したのか、というと、情報の不足があるでしょう。
ブラジルでは戦時中日本語が禁止され、国交が断絶したので外交官は引き上げてしまいました。
移民の中には高等教育を受けたものが少なく、現地のポルトガル語が達者でないものも少なくない。
そういう中、彼らが得られる情報というと短波ラジオしかないわけです。しかもそれは高価で保有者は少ない上に性能が悪かった。その上内容はいわゆる「大本営発表」で、景気のいい話しか流れてこない。
それが1945年8月14日(ブラジルは日付変更線の向こうなので一日早い)に突然「日本は負けました」とか言われても信じられないのは当然です。
その後日本語の新聞も出せるようになったわけですが、一度できたバイアスから見れば、それは売国であり捏造なわけです。


さらに、彼らが命脈をつないだのはなぜかといえば、戦前の教育+移民体験による偏狭さがあると思われます。*3
日本は三千年負けたことがない、と教えられた人が、上記のような情報環境でどうして負けたことを受け入れられるでしょうか。
また、移民としてつらい体験を超えるには、日本人は優等民族であるとして自意識を満足させ身内で団結することが必要だった人もいたでしょう。
そういう人にしてみれば、日本が負けるなどとは到底納得できないわけで。
ブラジルは国土が広く、コミュニティ同士のやり取りも難しい、という点がそれに拍車をかけるわけで。


上に挙げた参考リンクでは触れられてませんが、さらに彼らを利用した人間がいたことが僕にはショッキングでした。
日本は勝った、ということにしておいて、いろいろな詐欺を働くわけです。
日本勝利の捏造ニュースを売りさばく、ありもしない日本の占領地の土地を売る、日本帰国詐欺、これから上がると言って円を売りつける、など。
こうなると単純に情報格差と言い切れない複雑な様相を呈します。


それでも、この本の著者がブラジルに渡った頃になれば、勝ち組の人間も、世界情勢の中では日本は敗戦したということになっている、ということがうすうすわかってきている人も出てきます。
こういう人たちがどう考えているかというと、日本は自分が敗戦したということにして戦争目的を達成したとか*4いう感じの、正当化。
こうなると、もうどうにもならないと思うんですね。
あるとき州知事が、勝ち組負け組の指導者を集めて、スウェーデン公使(日本人の権益保護をしていた)とともに、敗戦の事実を認め、勝ち組負け組で対立をしないようにと説得にかかりますが、勝ち組は州知事を取り囲み議事録への署名を拒否。
それは、日本が無条件降伏したという文言に納得できないから。
大勢で取り囲まれた州知事は、その文言を削除し、かれらに署名させるわけですが、勝ち組に言わせればそれこそが州知事が日本の勝利を認めたということになるわけです。
なぜかというと、勝ち組を前にして、日本が負けたという弁舌を続けることができなかった→つまりそれは妄言、という論理。
他にも多数ありますが、要するに自分の持ってるバイアスに合うように情報を解釈するわけです。何を言っても。


そもそもは階級闘争に端を発するという見方もあるようです。
日本語が禁止されたとはいえ、戦争の情報に関しては、ポルトガル語が読めれば日本国内より自由に得られたわけで、それを把握していた人にとっては、戦時中から敗戦は自明だったわけです。
そういう人は教育程度も高い人つまり指導者層だったわけで。
勝ち組によるハッカ業者や養蚕業者の焼き討ちがありますけど、その根拠は薄弱なもので、それが焼き討ちにまで発展してしまうのはねたみがあったのでは?と邪推してしまいます。


彼らを笑うことは簡単ですが、この事件には今にも通じる教訓が残されていると思います。
つまり、情報の不足、自分の持ってるバイアスを疑う心、これらを失うと、日本が負けたとかいうこっけいな内容でも信じてしまうということです。
今はインターネットがあるから大丈夫だって?
インターネットで情報収集に検索エンジンを使わない人は皆無だと思います。
その検索キーワードは、自分で入力するじゃないですか。
つまり、自分の知識という限界、偏見という限界を超えられないんです。
そこに出てくるページは、特定のバイアスのもとに抽出されたものである、ということに自覚的な人は何人いるでしょうか。
インターネットでは誰でも気軽に情報を発信できます。十分な検討がされた情報も、そうでないものも等価に並びます。
仮にそのバイアスに自覚的だったとして、出てきたページの内容の確度はどうやって検証したらいいのでしょうか。
さらに、これだけ膨大な情報の中では、特定のサイトを定期的に読む人が多いと思うんですが、それはサイトの管理人とそれを中心とするコミュニティのバイアスの影響を常に受け続けるということでもあります。
何が言いたいかというと、何がいい、何がダメって、メディアに対して決め込んでしまう人がいますけど、それは危険だということですね。
最近の捏造騒動に見られるように、テレビを盲信するのも危険だし、K・Yの例を出すまでもなく、新聞ですべて事足りるというのもまた間違いでしょう。だからと言ってインターネットだけでどうかなるものではないわけです。
今でも、いろんな言説を信じて、バイアスをもって世間を見ている人がいます。
僕だってそれから自由ではないし、そもそもそれから自由でありえるわけがないわけで。
大事なのはそれに自覚的であることと、間違ったら直す柔軟性を持つことではないでしょうか。
隣国やアメリカや与党や野党に対するネット上での言説を見ると、そう思います。
そういう意味で、この本は今こそ誰もが読むべき本だと思います。
話は変わるけど、あとがきで「第二部を書くつもり」ってあるけど、この本の刊行されてから7年後に亡くなられてるわけで、アマゾンで著作を検索したけどどうも第二部はないっぽいね。

グリーン・ツーリズム実践の社会学グリーン・ツーリズム実践の社会学 48冊目

グリーンツーリズムという言葉をご存知でしょうか。
僕なりに大雑把に説明すると、農村での体験宿泊、って表現が一番イメージをつかみやすいかと思います。
農漁村で、ってところは外せませんが、そこでその土地の固有性を価値として経験する宿泊であれば具体的に何をやるかはケースバイケースのようです。
何が目的かというと、誤解をおそれずに極論を言えば、農漁村にどうやってお金を落とすか、ということかと。
個人的には、グリーンツーリズムはその方法論の一つ、ととらえてます。
この本は、グリーンツーリズムについての概論と、日本での成功例の紹介、という内容です。
第一次産業ってのは、ないがしろにされてはいけないと思います。
それによって国土と食料が保全され、国民をいろんな意味で危険から守ってるからです。
そのためにはその従事者にはその社会的貢献も含んだ報酬が与えられるべきで、そのためのシステムとしてはグリーンツーリズムは評価できると思います。
都市住人はどれだけの基盤の上にその生活が成り立っているか理解すべきで、そのためのコストを負担するのはもう時代の流れでしょう。*5
都市にこびず、自尊心を持ちつつ、できる範囲での運動を進めて、一歩一歩理想に近づいてる指導者の努力には頭が下がります。


とはいえグリーンツーリズムが万能とは思いません。
日本の都市住人にとって帰るべき田舎とは、故郷の父母の住むところであって、不特定多数の農村ではないと僕は思います。
グリーンツーリズムの動因となるべき自然回帰願望はそこで満たされてしまうわけです。
さらに、活性化されるべきは農「漁」村なワケですが、「グリーン」ツーリズムというだけあって、この本で紹介されていたのは農村の事例ばかりでした。
これは、外国の成功例を輸入して始めたからでしょう。
イギリスでは成功者は引退後田舎で農業するのがステイタスなわけで、その心理的類型に沿う形で実行したから成功したのではないかと。


でもですね、受け入れ側は、人口規模が数千人なワケで、初期投資が少ないわけですから、年に人口の何分の一も来れば上出来なわけです。
派手な成功をする必要はないわけですね。
思うんですが、これはペンション経営みたいなものですかね。
ペンションでは、オーナーを中心とした人的つながりのもとにリピーターを確保してるわけじゃないですか。
それさえしっかりしてれば、大ホテルのように毎日何百人と回転させなくても経営は成り立つ、みたいな。


今のところ、僕がグリーンツーリズムに対して抱く結論は、地方活性化には有効ではあるが万能の処方箋とはいかない、ってあたりです。
成功するにはいくつかの条件が必要だと思うので、社会学的に求められてるのは、きっとその要因の特定でしょう。
それがわかってこそ、処方箋として力を増すと思います。
個人的には、地方の活性は、都市から日帰りor一泊でいける観光地の中継点の道の駅の直販あたりから始めるのが現実的*6だと思います。そうなれる場所はいっぱいあると思うので。

おかしな人間の夢おかしな人間の夢 (論創ファンタジー・コレクション) 49冊目

いかん、面白すぎるwwww
書き出しが、

おれはおかしな人間だ。
奴らは今ではおれのことを<気狂い>だと言っている。奴らにとっておれが以前みたいに<おかしな人間>じゃなくなったというんなら、これはまあ官等(ランク)がひとつ上がったというものだ。でも、今はもう怒ってなんかいない。ただみんなが可愛い、懐かしくてたまらない。奴らがこっちを馬鹿にして笑っているときでさえ、なんだか特別に懐かしい気がして仕方がないのである。おれの方から連中と一緒になって笑ったっていい ── なにも自分のことを笑おうというんじゃない、奴らを愛するあまりそうするのだ。

これ。
ドストエフスキー何があったんだwww
後輩のK君がこんな作風だったけど、やっぱり文豪はここからがすごい。
まあ、ここからいろいろあるのだが、最後が

ところで、あの小さい女の子は探し出した……さあ、行くぞ!伝導に出かけるぞ!

なのだ。
この間の展開について、あらすじを書けば陳腐になり、陳腐にならないようにすれば引用を連ねるしかなく。僕の手には余ります。それだけ無駄がないってことでもある。
ヴォネガットとか好きな人は是非読むべき。

*1:どうも違ったようですが。

*2:そして、現在でもその影響から免れていない人もわずかながらおられるようです。

*3:もちろん、移民の体験が偏狭さを招くという意味ではなく、ここで説明するような偏狭さを彼らが獲得するにあたって、移民としてのつらい体験が一定の役割を果たした、ということです。

*4:戦後東南アジアで独立が相次ぐ→八紘一宇五族協和が達成されてる→それは日本が本当は勝ったからor本当は勝っていると考えてもいいんじゃないか、という論理。今でもその論理は残っている。

*5:水源環境税でしたっけ?神奈川県で水源の環境保全を目的とした目的税の話がありましたけど、それが全国に波及するのも時間の問題でしょう。

*6:僕がいうまでもなく、今もうすでに行われてますけども。この本でグリーンツーリズムの成功例として紹介されてた安心院町も、福岡−別府・湯布院の経由地にあたり、道の駅での売り上げはかなり大きいとテレビで紹介されてたような。