今日の日記

魚民

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開店時1時間待ちの行列ができたという魚民。
並んで食べるようなところじゃないって(笑)。
テペーイ様が言うように5時まで開いてるのが魚民の真骨頂。

読書

人質カノン借りてきた。
月末-来月の第一週までは非常に忙しいので、ボリューム的にジョロウグモは後回し。

こんなにヘンだぞ!『空想科学読本こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』 28冊目

この本は、端的に言えば、空想科学読本シリーズの批判本。
僕の中では、テキストの高尚さはその中の!や?の出現率に反比例する、という法則があるのです*1が、そういう意味では空想科学読本もこの批判本もどんぐりの背比べ。
基本的なスタンスは、空想科学読本における考証の欠陥を指摘するというもの。
具体的には、SF公証*2と科学公証*3の違いを踏まえた上で、その事実関係や論理や法則の適用や計算の間違いを指摘するというもの。


さて空想科学読本が、結論ありきで書かれた本*4だというのは、ある程度教養があれば明らかだと思います。*5
こっちで使った法則Aをあっちでは使わなかったり、公式の設定集を無視してたりするので。
僕もよく読むんですが、あれは、それをわかった上で、作者のダンスを笑う本だと僕は思ってましたが、どうも世間の評価は違ったようです。
この本を読むと、あれが、正しい科学考証だと思ってる人がいるらしいんだけど。どうなの?
社会科学的な関心が高い僕としては、ああいう本が一定の支持を受けるとはどういうことか気になるんですけどね。
例えば、権威を笑いたい心理なのかなあ→特撮も権威になったってことか?とか。オタクが支持している特撮やアニメをコケにする→オタクを差別したい心理が働いてるのか?とか。
個人的には、大半の人が健康的なユーモア感覚で見てると思います。まあ、そういう解釈もあって、そうだったら笑えるよね、というような。
ただ、一部にはさっきあげたような反権威の心理*6や、オタク差別の心理があると思います。
だからどうだという気はありませんが、この本で書かれてるように、空想科学読本では、用いられてる手法が科学的であると思い込ませるような書き方をしてるわけで、それは卑怯だということは主張しておきたい。
あれはあるあるみたいなものですから、どっかに「これはフィクションです」って書くべき。*7

*1:既出かどうかは知らない。

*2:作品を成立させるためにはどんな仕掛けが必要か考えること、と僕は思う。

*3:その作品の中で使われてる仕掛けは科学的に妥当か考えること、と僕は思う。

*4:つまり笑えそうなオチが先にあって、それにつながるように都合よく法則や論理を牽強付会してる本。

*5:とは言うものの、批判本のこの本も、空想科学読本憎しが先に来てて、揚げ足取りに近い印象を持つところもある。例えば、空想科学読本におけるゴジラの体重の計算方法がおかしいと批判するのはいいけど、だからと言って着ぐるみがそのまま大きくなったとして計算するのはいかがなものか。作品上のゴジラは、ゴジラという生物であって、あの大きさの着ぐるみではあるまい。たとえばティラノザウルスからの類推だとか、放射能を吐くなどの特徴的な機能から必要な器官を考えるとかした上で、生物学的に妥当な数字を挙げるのがSF考証ではないかと僕は思うんだけど。

*6:なぜなら高尚とされるような内容のものを笑うように最近はシフトしつつあるように思う。2001年とか。

*7:言ってしまえば、作品をどういう楽しみ方するのも受け手の自由なわけで。空想科学読本の問題は、ひとえに、言ってることとやってることが違うことであり、それをわからないようにしてること。