今日の日記

かま

母の帰りを持ってたらこの時間に。
関係ないけど、今日でここは開設二周年*1
今見たら14万ヒットくらいですから、一日あたり2千人弱の方に見ていただいてる計算になりますね*2。ありがとうございます。
なお、2/14はまったく暇ですので、2千人の中にいるはずの乙女の皆さんは僕にチョコレートを贈るといいと思います。

画像

これは、お釜で湯を沸かしてるところですね。
この、画面外すぐに山椒の木が生えていて、火を燃やすときに邪魔で非常に痛い。
でも、香りもいいし、太さも3-4センチになったので、もう少し育ててスリコギにでもしようというコンセンサスがありました。
今年のアゲハの大発生にもめげず、若葉をつけてたしね。
そしたら、火の番をしていた祖父が、ちょっと目を離した隙にきっちゃった。
邪魔なのはわかるんだけどね。
何かに使えるかもしれないと思って、切った木はどうしたと聞いたら「燃やした」って、それ生木やんか(笑)!
ちなみに、もう少し離れた、邪魔じゃないところにもう一本生えていたんだけど、それも「切った」&「燃やした」とのこと。
それって、邪魔だったのもあるけど、手持ち無沙汰なだけだろ……。
僕は、自分が手をかけていたわけじゃないから別にいいけど、楽しみに育てていた祖母はがっかりしてた。

読書

軍事革命(RMA)軍事革命(RMA)―“情報”が戦争を変える (中公新書) 11冊目

RMAとは、Revolution in Military Affairsの頭文字で、wikiを見たら、防衛白書では軍事における革命と訳してるとのこと。
Military Revolution=軍事革命が違う概念というのは知らないのでなんとも言えません*3が、確かに軍事革命というと、軍事力による革命という誤解のおそれがありますね。
RMAは、軍事力の質的変化を指してるわけで、そういう意味では、すわりが悪いですが軍事における革命という訳のほうが間違いがないですね。
とは言うものの、ここでは、タイトルにもなってるので軍事革命で通します。


この本の内容は、今軍事力にどういう質的変化が起きてるか、ということなんですが、その前に今までの軍事力とはどういうものか、という話をば。
戦争とはどういうものと思っているかと言われれば、例えば戦略爆撃機が国土を絨毯爆撃し、軍はお互いをすりつぶすような殲滅戦を繰り広げる、いわゆる総力戦モデルを想像する人が多いと思います。
これは、ナポレオンが結実させた軍事的革命に始まるもの、と僕は理解しています*4
つまりまず、フランスで国民国家が成立→安価で忠誠心の高い軍事力が供給されるようにります。
今までは傭兵を金で雇わなければならず、それは金もかかるし忠誠心にも疑問符がつくものだったわけだけど、国民国家の兵隊は法令&赤紙だけで揃うわけで。
その意味合いはともかく現象的にはそういう変化があった、と。
それが、戦力の集中→各個撃破とラインハルト閣下もお墨付きの戦術につながるわけです。
そんなことをすれば、当然相手へのダメージも大きいわけですが、損害も大きくなります。
とはいえ、補充は傭兵を雇うより容易なわけです。
ポーカーのチップの積み合いは結局財布のでかいほうが勝つように、お互いに出血し続ける勝負なら、耐え切ったほうが勝つ、ということですね。
もちろん、そういうことができるというのは、交通手段の進歩など、いくつかの技術的新化もあるのですが、社会制度的な文脈で言えばそういうことではないかと。
で、我々は基本的にそのイメージに沿った形で軍事力というものを考えてきたが、実は今軍事力というものは質的な変化を遂げてるんだよ、という話。
基本的に、我々の持つ戦争のイメージ、つまり殲滅戦というのは、効率の悪い戦いです。
なんてったって、敵の国土を焦土と化さなければ終わらないんだから。
それでいて何の得があるかといえば、別に領土がもらえるわけじゃなし。
戦いというのは、自分の意思を相手に強要できればいいのであって、別に勝つこととか、相手が行動不能に陥るとかはどうでもいいわけです。損得で言えば。
そういう意味で、戦争は政治の、そして外交の一手段に過ぎないわけですね。
と、するならば、いざ戦争になったとしても、本来なら相手に意思を強要できる状態になればいいのであって、繰り返しますがそのためには相手を殲滅するというのは非常に効率が悪い。
ケンカで言えば、相手を半殺しにするのが殲滅戦であって、それよりは、できるなら急所を的確に殴ってダウンさせるほうが効率がいいわけで、しかもそれでたいていの場合は目的が達成できるわけです。
じゃあ、なぜ、ナポレオン以来我々は殲滅戦こそ最善と信じて戦争してきたかというと、それは相手の急所が見えなかったから&わかっても手足までその命令が届くのが間に合わなかったから、とこの本は説きます。
本来なら、仮に相手の戦争指導者が一気に死ねば戦争が終わる可能性は高いでしょうが、ずっとそういうわけにはいかなかったわけです。
武器の射程や情報技術を考えてもらえばわかると思うのですが、例えば司令部の位置を特定するにしても、スパイをもぐりこませ、何日もかけて調べ、ということをやるわけです。
それが判明して、そこが攻撃できるかといえば、まあ制空権を確保して戦略爆撃機で攻撃するにしても、その命令が出る頃には、相手の司令部は対策が打ててしまうわけです。移転するとか補強するとか。
じゃあ、そういうことは意味がないわけで、結局、じりじりと敵兵士を殺しながら前線を進めていくしかない。だって武器が届かないんだから。
結局、あれだけ戦死者を出し、本土を爆撃された日本で、戦争指導者がどれだけ死んだか、ということが答えといえば答えですよね。
ところが今は、衛星が山ほど敵国を偵察*5し敵の司令部を特定し、必要とあらば前線を飛び越えてミサイルがそれを破壊するわけです。
加えて、民主主義国家になると、戦死者の発生に非常に敏感になるわけです。これだけ少子化が進めばなおさらです。
兵士の数的補充は楽にしても、損耗はできなくなったわけです。*6
そういう意味でも相手の要所をたたき、できるだけ早く効率よく戦いを終わらせる必要性と、それを可能にする技術が、今揃っている、ということですね。
我々は、軍事力といえば、イコール火力としか思ってません。
どこにどれだけ敵兵がいるのかわからないから火力で根こそぎ吹き飛ばすしかなかった時代の常識のままといえます。
本来、孫子が説くように、戦わずして勝つのが最上なわけです。
殲滅戦とは火力と情報技術のバランスが、火力に大きく傾いたときにとるべき戦略なのだ、と僕は思いました。
例えば、目隠しした状態でお互いに銃を持てば、弾が切れるまで撃つしかないわけです。
ところが、目隠しもなく、銃の腕も高ければ、先に相手の銃を撃って飛ばせばもう勝ちなわけです。
そういうことではないかと。
そういう変化が起きてるということ、そして日本の自衛隊がどうあるべきかを、この本を読んでちょっと考えました。
ゲリラの話とかもあったんだけど、割愛。
情報が不鮮明であるだけに今まではトップダウンだった組織が、これからはボトムアップになるだろうとか、ビジネスに引き寄せた記述もあったけど、それは時代ってものだろうな。

*1:たまたまプロフィール見たら日記つけた日数が730日になってたので。僕も忘れてた。

*2:まあ、重複もカウントしてるので、実際には定期的に見てるのは30人もいればいいほうだと思ってるのですが。これでもかなり多く見積もってるつもり。

*3:こういう違いでいいのかしら?はてなのキーワードにもあるんでそっちも参照してください。

*4:まあその、正確にはそれを始めたのはキーワードにあるようにマウリッツなんでしょうけど。

*5:フセインのトイレを爆撃してみせるとかアメリカの指揮官が言ってなかったっけ?

*6:キートンのお父さんの考えてたことが、形を変えて現実になろうとしてるわけですな。結論は平和というよりは戦争の形態の変化でしたが。