今日の日記

モグラの穴

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モグラにまた穴掘られた……os2

読書

富野に訊け!富野に訊け!
アニメージュで連載されてた人生相談コーナーをまとめたもの。
富野監督というと、自意識過剰で生真面目な人という印象なんですが、この本もその印象を裏切らない出来。
「〜した僕たちの世代の責任」は頻出単語なのでよく覚えておくように*1。穴埋め問題で出ます。
結局富野監督の言いたいのは、生の体験の重要さだと思うんですが、それをうまく言葉にできてない気がしますね。
僕としては富野監督は作品を見る限り感受性には優れるが文章力には難ありという評価なので、それもまた一興なのですが*2
でも、常日頃から問題意識を持って生きてるというのがよくわかります。
「対論を聞かないことで自分の存在を認めてほしいという考え方は、非常に偏った考え方を導きますから〜」という文はなかなかだと思いました。
インターネットは大量の情報がありますが、多すぎて、使える情報とそうでない情報がはっきりしません。
それは検索によって絞り込むことで初めて自分の手に負える量になります。
ここに落とし穴があって、検索というのは、自分の見方でしか絞り込めないんですよ。
例えば、富野監督の作品について調べるとしたら、「富野監督 作品」とか検索するのがまあ普通でしょう。
で、抽出されてきた情報を見たとして、それで富野監督の作品について語れるかというと、語れはするでしょうが、一面的なものにならざるをえない。
なぜなら、作品を語るというのは、例えばその人の姿勢、当時の社会的状況、他の作品、そのほか膨大な文脈を踏まえなければならないからです。
ところが、抽出された情報には、作品そのものについてしか書いてないわけで、そういう、自分は必要と気づいてないが、実は必要な情報が漏れてしまうわけです。
これはリテラシーの問題に帰してもいいんですが、基本的にはインターネットの構造的な問題です。
さらに言えば、そうやって一面的な見解を、インターネットは発信できるわけで、そうやって輻射しあって、出所を失ったピンボールのように、意見は内側で勢いを増していくわけです。
カエサルの言うように、基本的には「人間は自分の見たいものを見たいようにしか見ない」生き物です。
だとすればどれだけリテラシーを磨こうと、無意識にしても自分の都合いいようにしか情報を抽出せず、それを見てまた一人で心強くなるって危険は、インターネットに限らず、人間が本質的に落ち込みやすい落とし穴と言えます。
発信もできることで、特にその危険も落とし穴の大きさも大きくなってると思います。
それをインターネットをしない(らしい)富野監督が言葉にした、ってのはやっぱすごいな、って思います。

*1:あまり言われると、上の世代の言うことを受け取るだけで生きてきたわけじゃないんだと言いたくなります。もちろん富野監督はそういうつもりではなくて、この言い回しは責任感から出たものだと思いますが。

*2:もし本人に言ったら否定されそうですけど。